商店街情報・歴史

【上野と浅草をつなぐ近道】

かっぱ橋本通りは、浅草の国際通りから上野駅入谷近くの昭和通りまでの、1.2キロにわたる道です。寛永寺の高僧が浅草寺に詣でる「御成道」として整備されました。浅草は江戸以来の繁華街として庶民の娯楽の中心であった街。その浅草と上野をつなぐ幹線路として、明治・大正時代は、終日賑わいをみせていました。明治時代には、線路の上に車両をひいた馬が走る「馬車鉄道」が運行したことも。

現在は地下鉄などの交通手段の発達によって、浅草-上野間の通り道としての意味合いは薄れ気味だが、最も近道だった昔の風情が残っている道。歴史があり、個性豊かな店が多く、歩くほどに素敵な発見があります。商店街にはいたるところに河童の像が。通りに生息している河童を探しながら、のんびり昭和を歩いてみては、いかがでしょうか?

【「合羽橋」の由来】

「合羽」の由来は2つの説があります。

ひとつは、今はない新堀川の整備を行った雨合羽の商人、合羽屋喜八のはなし。
今から200年ほど前の文化年間の時代。この辺りは水はけが悪い低地で、雨が降るたびに洪水となり、人々は困り果てていました。そこで、合羽屋喜八が私財を投じて、水路をつくる工事に着手。しかし工事はことのほか難航しました。これをみた隅田川の河童たちが同情し、喜八の良心にも心を打たれて、夜な夜な工事を手伝い、工事は無事に完成したと言い伝えられています。通称かっぱ寺とよばれる曹源寺には、合羽屋喜八の墓があります。

もうひとつの説は、橋の近くにあった、伊予新谷加藤家下屋敷にまつわるはなし。屋敷に住んでいた下級武士たちは、内職に雨合羽を作っていたそうです。その雨合羽をこの橋にかけて乾かしていたことから「合羽橋」と呼ばれるようになったと言われています。

かっぱ橋本通りの河童伝説